ルミ子は次のように述べている。
小学校の高学年だったでしょうか。アルバムを見ていたら、母の若い頃の写真がありました。でも、それは不自然にハサミでカットされているのです。母の右横に誰かがいたように人の形にそって切ってあるのです。
その写真を見た時、体中に戦慄が走り、ピーンときたのです。『母の横に肩を並べて写っていた人は私に知られては嫌な人なのだ。きっと、その人は私の実のお父さんだ。本当のことが知りたい。怖いけど知りたい。-(中略)-
『お母さん、この写真の隣に誰かいたの? いたんでしょ? 誰よ。お母さん教えて』。今にも泣き出しそうな娘の突然の疑惑の問いに、母は少しも動じず、こう答えました。『誰もおらんよ。留美子の考え過ぎたい』と。
でも、私は確かに見ました。母が一瞬だけ息をのんだのを。
(「私の半生記」小柳ルミ子著)
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愛子が病院から帰り着くと、葬儀社の男が待っていた。
玄関の隣の居間を手早く片付けると、小さな祭壇がしつらえられた。
「仏様のお写真は無かですか。祭壇のお写真にすっとですが」。
愛子はアルバムの中から、一枚を選んだ。若い頃の自分と光義の二人で写った記念の写真である。
「仏様だけ切り抜いてもらえんですか」。男は事務的に言った。
愛子は記念の写真を切るのは無念だった。しかし葬式を出さねばならない。否も応もなかった。
愛子は写真にハサミをあてると光義の姿だけ切り抜いた。
切り抜かれた光義の写真を男に渡すと、愛子は切り残りを元のアルバムにしまった。捨てるに忍びなかったのだ。
たくさんの弔問客が、光義の葬儀に訪れた。
父を失ったということが未だ分からないルミ子は、たくさんの弔問客に喜んでキャッキャッとはしゃいだ。
不憫だった。
黒枠の光義の写真が自分とルミ子に微笑えんでいるように見えた。
切り抜かれた光義の写真は戻って来なかった。
後年、多少とも物心のついたルミ子は、アルバムの中に切り残りの写真を見つける。
幼いながらに潔癖だったルミ子は、自分を欺くための作為だと思ってしまった。
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誰かが悪かったわけではない。
ただ、人の一生は涙に満ちているのだ。
ルミ子の半生は、切り抜かれた父の肖像を求める旅であったのかも知れない。
しかしその旅も、母、愛子の死とともに終わったに違いない。
今、ルミ子はなにを求めて旅を続けているのだろうか。
求めるものを求める旅なのだろうか。
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