2009年8月29日土曜日

煮えたぎった薬缶と 愛        by 柘植信彦

ルミ子の母、愛子は次のように述べている。
「私は男が嫌いです。私なりに原因を思い返してみると、こども時代に祖父が祖母を薪で殴ったり、煮えたぎった薬缶を投げつけたりというようなあまりにむごい仕打ちを、いやというほど見ていたからかもしれません。ー(略)ー 男なんてつまらない。」 (「小柳ルミ子の真実」 小柳愛子著)

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台所の土間に立っている妻の足元で何かが動いている。
妻のくるぶしから50センチほどの暗がりに、
居間からのわずかな明かりの中、赤と黄色が認められる。
「ヤマカガシ!」だ。
今の今まで妻と言い争っていた夫は、狼狽した。
「妻が咬まれる」
夫は咄嗟に、そばにあった火鉢の上の煮えたぎる薬缶を
ヤマカガシのとぐろにトスした。
ヤマカガシは狂ったようにのたうち、板壁の隙間から闇に逃げて行った。

幼い愛子は居間の隅に居た。
愛子にはヤマカガシは、上がり框の陰になって見えなかった。
祖父が祖母に薬缶を投げつけたように見えた。

愛子は、おさな心に祖父を鬼だと思った。
一生拭い去れない恐怖とともに。

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平成18年 冬 愛子は天に召される。享年86歳。釈尼雅詠。
祖父、祖母、父、母のもとに帰った。

真実を識る者は皆、召されていく。
残された私達は、ただ愛を信じて、掌を合わせるのみである。

合掌