2009年5月30日土曜日

ルミ子の子守唄     by柘植信彦

ルミ子の父は予科練だった。
先輩兄鷲達は続々と戦死した。
自分も後に続く覚悟だった。
しかし生き残ってしまった。

後に続く者を信じて大空に散った先輩達を自分は裏切ったのだ。
「靖国で会おう」と言い残して散華して行った先輩達に申し訳ない思いに苛まれた。

愛子の声を聞いた時、生への情熱が沸々と胸に湧き上がって来た。
自分の腕の中で寝息を立てているルミ子を見詰めていると、男子としての責任に身震いする思いだった。
愛子の為に、ルミ子の為に、生きよう。

かって愛する者の為に死に赴くことを決意した自分が、愛する者の為に生を決意した。
敢然と祖国に殉じた先輩達も、きっと微笑んで赦してくれると思えた。

ー若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨ー

若い父の唄う「若鷲の歌」でルミ子は寝入った。
ルミ子の子守唄だった。

2009年5月4日月曜日

唄ってよ 愛の歌を           by 柘植信彦

格子戸の開く音に、愛子は「いらっしゃいませ」と振り向いた。
そこには若い青年が立っていた。凛々しい一陣の風を感じた。
青年は愛子の声が泣き声のように聞こえたのでわずかに戸惑ったが、
彼女の笑顔を見て、隅の小卓に腰掛け饂飩を注文した。
愛子の久留米絣の着物姿が青年の目に焼きついた。

その日から青年は愛子の勤める食堂で昼餉を摂った。
愛子は食堂の主人の話しから青年が予科練帰りであることを知った。
青年は給仕の女性が愛子という名であり、わずかに足を引き摺ることを知った。

近所を流れる室見川のほとりを歩く二人の姿があった。
二人は恋に落ちた。
青年は22歳、愛子は29歳の春だった。

二人は赦されて小さな所帯をもった。
ちゃぶ台はりんごの空き箱に布を掛けた。
愛子はお針子の内職の合間に、布に赤い椿の花を刺繍した。

桜色の赤子が生まれた。
唄うように泣く女の子だった。
若い父親が抱き上げてあやすと、舞うかのように喜んだ。

留美子と名付けた。

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