格子戸の開く音に、愛子は「いらっしゃいませ」と振り向いた。
そこには若い青年が立っていた。凛々しい一陣の風を感じた。
青年は愛子の声が泣き声のように聞こえたのでわずかに戸惑ったが、
彼女の笑顔を見て、隅の小卓に腰掛け饂飩を注文した。
愛子の久留米絣の着物姿が青年の目に焼きついた。
その日から青年は愛子の勤める食堂で昼餉を摂った。
愛子は食堂の主人の話しから青年が予科練帰りであることを知った。
青年は給仕の女性が愛子という名であり、わずかに足を引き摺ることを知った。
近所を流れる室見川のほとりを歩く二人の姿があった。
二人は恋に落ちた。
青年は22歳、愛子は29歳の春だった。
二人は赦されて小さな所帯をもった。
ちゃぶ台はりんごの空き箱に布を掛けた。
愛子はお針子の内職の合間に、布に赤い椿の花を刺繍した。
桜色の赤子が生まれた。
唄うように泣く女の子だった。
若い父親が抱き上げてあやすと、舞うかのように喜んだ。
留美子と名付けた。
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