大正8年(1919年)ロシアのバレリーナ、エリアナ・パブロバは、
ロシア革命の暴虐を逃れ日本に亡命し、福岡の鶴田バレエ団に身を寄せた。
ここで子供達にバレエを教えて暮らしたが、
大東亜戦争のさなか、日本軍の慰問に訪れていた南京で病没した。
日本のバレエの礎となった女性である。
歳月が流れた。
昭和3×年の鶴田バレエ団の発表会は「くるみ割り人形」だった。
子供達の踊りを、菩薩になったエリアナが彼岸から見つめている。
『鶴田先生があの子にネズミの役を振るのにはわけがあるのよ。
あの子がネズミなら、ほかの子供達が、
「あんなかわいくて、踊りの上手な子がやるんだったら、ネズミは悪い役じゃないんだ、きっと」
と思って、ネズミの役を嫌がらないでしょう。
それが鶴田先生のねらいなのよ。
あの子は自分がどんな役でも、発表会が成功することだけを願って、
一生懸命に踊るのよ。
あの子はそういう、心のきれいな子。
天使のような子。
アーッ スリッパを投げられたワ、
うまくよけるのよー(笑)
あの子、お名前は何だっけ、ルウ---ミ、そう、ルミ子チャン』
ルミ子、少女の季である。
(参考)「くるみ割り人形」は、愛の王国が悪の帝国に攻撃されるという物語で、
悪の帝国の兵隊はネズミの衣装で踊り、最後には主人公クララにスリッパを
投げつけられ成敗される。
出演する子供達は悪役のネズミ役になることを嫌がるし、こども達の親も
わが子がネズミ役を振られないよう指導者に働きかけるという。
指導者は誰をネズミ役にするか、頭を悩ますのである。
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