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2010年8月2日月曜日

自転車に乗れない子 ルミ子

室見川の畔に、小さな野原があった。

母 「うしろを持っていてあげるから、強くペダルを踏んでーッ」

(しかし赤い小さな自転車はまっすぐ行かず、倒れてしまう)

母 「アラアラ、どうもバランスがとれないワネ、もう一度やってみましょう」

(何度やっても、自転車は倒れてしまう)

母 「おかしいワネ、バレエではあんなに体のバランスがとれるのに・・・。  
わかったワ! あなた下を向いているから、バランスがとれないのよ。
   前を、正面を向いて運転しなきゃ」

(やっぱり自転車は倒れる)

母 「まーだ下を向いてる。どうして正面を見ないの」

ルミ子 「だって、アリンコを踏んづけたらかわいそうでしょ」

母 「えーッ???」

ルミ子はいつまでも自転車に乗れなかった。
 
            ☆
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この世を生き抜くには、優しくない方がいい

優しすぎると、負け続けるから

それでも優しくありたい

愛いっぱいに生きたい
 

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             ☆

唄ってよ 愛の歌を
踊ってよ あなたは天使

        by 柘植信彦

2009年11月7日土曜日

切り抜かれた写真 と ルミ子   by柘植信彦

ルミ子は次のように述べている。

 小学校の高学年だったでしょうか。アルバムを見ていたら、母の若い頃の写真がありました。でも、それは不自然にハサミでカットされているのです。母の右横に誰かがいたように人の形にそって切ってあるのです。
 その写真を見た時、体中に戦慄が走り、ピーンときたのです。『母の横に肩を並べて写っていた人は私に知られては嫌な人なのだ。きっと、その人は私の実のお父さんだ。本当のことが知りたい。怖いけど知りたい。-(中略)-
 『お母さん、この写真の隣に誰かいたの? いたんでしょ? 誰よ。お母さん教えて』。今にも泣き出しそうな娘の突然の疑惑の問いに、母は少しも動じず、こう答えました。『誰もおらんよ。留美子の考え過ぎたい』と。
 でも、私は確かに見ました。母が一瞬だけ息をのんだのを。
                                 (「私の半生記」小柳ルミ子著)

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愛子が病院から帰り着くと、葬儀社の男が待っていた。
玄関の隣の居間を手早く片付けると、小さな祭壇がしつらえられた。
「仏様のお写真は無かですか。祭壇のお写真にすっとですが」。
愛子はアルバムの中から、一枚を選んだ。若い頃の自分と光義の二人で写った記念の写真である。
「仏様だけ切り抜いてもらえんですか」。男は事務的に言った。
愛子は記念の写真を切るのは無念だった。しかし葬式を出さねばならない。否も応もなかった。
愛子は写真にハサミをあてると光義の姿だけ切り抜いた。
切り抜かれた光義の写真を男に渡すと、愛子は切り残りを元のアルバムにしまった。捨てるに忍びなかったのだ。

たくさんの弔問客が、光義の葬儀に訪れた。
父を失ったということが未だ分からないルミ子は、たくさんの弔問客に喜んでキャッキャッとはしゃいだ。
不憫だった。
黒枠の光義の写真が自分とルミ子に微笑えんでいるように見えた。

切り抜かれた光義の写真は戻って来なかった。

後年、多少とも物心のついたルミ子は、アルバムの中に切り残りの写真を見つける。
幼いながらに潔癖だったルミ子は、自分を欺くための作為だと思ってしまった。

☆      ☆      ☆       ☆

誰かが悪かったわけではない。
ただ、人の一生は涙に満ちているのだ。

ルミ子の半生は、切り抜かれた父の肖像を求める旅であったのかも知れない。

しかしその旅も、母、愛子の死とともに終わったに違いない。
今、ルミ子はなにを求めて旅を続けているのだろうか。

求めるものを求める旅なのだろうか。

☆   ☆   ☆

2009年5月30日土曜日

ルミ子の子守唄     by柘植信彦

ルミ子の父は予科練だった。
先輩兄鷲達は続々と戦死した。
自分も後に続く覚悟だった。
しかし生き残ってしまった。

後に続く者を信じて大空に散った先輩達を自分は裏切ったのだ。
「靖国で会おう」と言い残して散華して行った先輩達に申し訳ない思いに苛まれた。

愛子の声を聞いた時、生への情熱が沸々と胸に湧き上がって来た。
自分の腕の中で寝息を立てているルミ子を見詰めていると、男子としての責任に身震いする思いだった。
愛子の為に、ルミ子の為に、生きよう。

かって愛する者の為に死に赴くことを決意した自分が、愛する者の為に生を決意した。
敢然と祖国に殉じた先輩達も、きっと微笑んで赦してくれると思えた。

ー若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨ー

若い父の唄う「若鷲の歌」でルミ子は寝入った。
ルミ子の子守唄だった。

2009年5月4日月曜日

唄ってよ 愛の歌を           by 柘植信彦

格子戸の開く音に、愛子は「いらっしゃいませ」と振り向いた。
そこには若い青年が立っていた。凛々しい一陣の風を感じた。
青年は愛子の声が泣き声のように聞こえたのでわずかに戸惑ったが、
彼女の笑顔を見て、隅の小卓に腰掛け饂飩を注文した。
愛子の久留米絣の着物姿が青年の目に焼きついた。

その日から青年は愛子の勤める食堂で昼餉を摂った。
愛子は食堂の主人の話しから青年が予科練帰りであることを知った。
青年は給仕の女性が愛子という名であり、わずかに足を引き摺ることを知った。

近所を流れる室見川のほとりを歩く二人の姿があった。
二人は恋に落ちた。
青年は22歳、愛子は29歳の春だった。

二人は赦されて小さな所帯をもった。
ちゃぶ台はりんごの空き箱に布を掛けた。
愛子はお針子の内職の合間に、布に赤い椿の花を刺繍した。

桜色の赤子が生まれた。
唄うように泣く女の子だった。
若い父親が抱き上げてあやすと、舞うかのように喜んだ。

留美子と名付けた。

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