2009年12月20日日曜日

忠士の献身 と ルミ子   by 柘植信彦

ルミ子の母・愛子は、初婚の夫・光義に先立たれて後、小柳運送店の従業員だった忠士と再婚する。
愛子は忠士について、次のように述べている。

「忠士は義父として、留美子のために一生懸命な私を助けてくれていました。しかし、やはり血の繋がらない親子のこと、ふたりの間には、本当の父娘のような温かさはありませんでした。
(略)
留美子が中学生の頃、バレエ教室は週に二、三回あったでしょうか。バレエ教室で主役を演じるスペシャルクラスに入っていた留美子は、うちに帰ってくるのが、夜の十時ということがざらでした。
(略)
バレエ教室の外で忠士は留美子が出てくるのを車に乗って待っているのですが、他の生徒達が次々と荷物を持って出てくるのに、肝心の留美子がいつまでも出てきません。
「何しとるんか! 早く出てこんね!」
待ちくたびれてイライラした忠士が、けたたましくクラクションを鳴らして留美子を呼ぶんです。一緒におしゃべりをしているお友達の手前、留美子にしてみれば、そんな義父がおもしろくないいんでしょう。
(略)
聞けば車の中で言い争いになったとのことでした。
                     (「小柳ルミ子の真実」 小柳愛子著)
 
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バレエ教室のドアから、タボを結った少女達が三々五々バレエバッグを持って出てくる。
もう夜の十時をまわった。
留美子はまだ出て来ない。
忠士は車の中でつぶやいた。
「お友達とおしゃべりかな。イヤイヤ練習熱心な留美子のことだから、残ってお稽古か、そういえば新しい振りをもらうようなことをーー言ってーーいーー

忠士は、ひたいに冷たく硬いものがあたったような気がした。クラクションがけたたましく鳴った。
睡魔に襲われた忠士のひたいがクラクションボタンにあたったのだ。
「いかん、いかん。運転中でなくてよかった。」 愛子がポットに淹れてくれたコーヒーをフタですする。

明日も暗いうちに起床せねばならない。工事現場が始まる前に、
「1回目の砂利の納品ばせんーーなーーらーー
またクラクションが鳴り響いた。

「お父さん、クラクションば鳴らさんで! 近所の人のヤカマシカて、鶴田先生の怒られんシャーとよ!」
留美子がプンプンしながら後部シートから言った。
「ゴメン、ゴメン」

忠士は早朝からの砂利運送でクタクタなことなど、一言も言わなかった。
どうであれクラクションを鳴らしたのは自分である。
九州男児は言い訳などしないのだ。

留美子は恩人・光義のかけがえのない宝だった。
忠士は宝を託されたのだ。

忠士は黙々と献身した。

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愛を語れなくとも、
人を愛することは出来る。

2009年11月7日土曜日

切り抜かれた写真 と ルミ子   by柘植信彦

ルミ子は次のように述べている。

 小学校の高学年だったでしょうか。アルバムを見ていたら、母の若い頃の写真がありました。でも、それは不自然にハサミでカットされているのです。母の右横に誰かがいたように人の形にそって切ってあるのです。
 その写真を見た時、体中に戦慄が走り、ピーンときたのです。『母の横に肩を並べて写っていた人は私に知られては嫌な人なのだ。きっと、その人は私の実のお父さんだ。本当のことが知りたい。怖いけど知りたい。-(中略)-
 『お母さん、この写真の隣に誰かいたの? いたんでしょ? 誰よ。お母さん教えて』。今にも泣き出しそうな娘の突然の疑惑の問いに、母は少しも動じず、こう答えました。『誰もおらんよ。留美子の考え過ぎたい』と。
 でも、私は確かに見ました。母が一瞬だけ息をのんだのを。
                                 (「私の半生記」小柳ルミ子著)

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

愛子が病院から帰り着くと、葬儀社の男が待っていた。
玄関の隣の居間を手早く片付けると、小さな祭壇がしつらえられた。
「仏様のお写真は無かですか。祭壇のお写真にすっとですが」。
愛子はアルバムの中から、一枚を選んだ。若い頃の自分と光義の二人で写った記念の写真である。
「仏様だけ切り抜いてもらえんですか」。男は事務的に言った。
愛子は記念の写真を切るのは無念だった。しかし葬式を出さねばならない。否も応もなかった。
愛子は写真にハサミをあてると光義の姿だけ切り抜いた。
切り抜かれた光義の写真を男に渡すと、愛子は切り残りを元のアルバムにしまった。捨てるに忍びなかったのだ。

たくさんの弔問客が、光義の葬儀に訪れた。
父を失ったということが未だ分からないルミ子は、たくさんの弔問客に喜んでキャッキャッとはしゃいだ。
不憫だった。
黒枠の光義の写真が自分とルミ子に微笑えんでいるように見えた。

切り抜かれた光義の写真は戻って来なかった。

後年、多少とも物心のついたルミ子は、アルバムの中に切り残りの写真を見つける。
幼いながらに潔癖だったルミ子は、自分を欺くための作為だと思ってしまった。

☆      ☆      ☆       ☆

誰かが悪かったわけではない。
ただ、人の一生は涙に満ちているのだ。

ルミ子の半生は、切り抜かれた父の肖像を求める旅であったのかも知れない。

しかしその旅も、母、愛子の死とともに終わったに違いない。
今、ルミ子はなにを求めて旅を続けているのだろうか。

求めるものを求める旅なのだろうか。

☆   ☆   ☆

2009年9月18日金曜日

肩車と 愛子       by柘植信彦

室見川にそっくりの川だと、愛子は思った。
幼いころのルミ子を川辺で遊ばせたことが、
昨日のことのように思い出される。

浅瀬に足を入れた。いつの間にか素足だった。
水が冷たい。歩きにくいゴロ石の川床である。
足の調子が思わしくない、困ったと思った。

突然、愛子の体が浮き上がった。
男が肩車をして、川を渡ってくれている。
「あなたは誰?」
愛子は体を傾けて男の横顔を見た。
「みっちゃん!」

自分の宝、ルミ子を、自分の命だったルミ子を
授けてくれた男である。

( 愛子の夫、小柳光義は、幼いルミ子と若い愛子を残し、
結核で他界する。
愛子は苦労に苦労を重ね、ルミ子を歌謡界のスーパースターに
育てる。 )

広い川である。向こう岸が幽かに見える。あれが彼岸なのだろう。
光義は腰まで水に浸かりながら、黙々と愛子を運ぶ。

後方から唄声が追いかけて来る。

♪ 瀬戸は日暮れて  夕波小波
   あなたの島に    お嫁に行くの ♪

ルミ子の唄声だ。
母、愛子の旅立ちにルミ子が此岸から唄い贈っているのだ。

愛子の涙が、ポトリと光義の頭に落ちた。
「愛ちゃん、頭のつめたかバイ。」
愛子は光義の頭を抱きしめた。

「ありがとう、みっちゃん」

♪ 瀬戸は夕焼け  明日も晴れる
   二人の門出   祝っているわ ♪

2009年8月29日土曜日

煮えたぎった薬缶と 愛        by 柘植信彦

ルミ子の母、愛子は次のように述べている。
「私は男が嫌いです。私なりに原因を思い返してみると、こども時代に祖父が祖母を薪で殴ったり、煮えたぎった薬缶を投げつけたりというようなあまりにむごい仕打ちを、いやというほど見ていたからかもしれません。ー(略)ー 男なんてつまらない。」 (「小柳ルミ子の真実」 小柳愛子著)

 ☆
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台所の土間に立っている妻の足元で何かが動いている。
妻のくるぶしから50センチほどの暗がりに、
居間からのわずかな明かりの中、赤と黄色が認められる。
「ヤマカガシ!」だ。
今の今まで妻と言い争っていた夫は、狼狽した。
「妻が咬まれる」
夫は咄嗟に、そばにあった火鉢の上の煮えたぎる薬缶を
ヤマカガシのとぐろにトスした。
ヤマカガシは狂ったようにのたうち、板壁の隙間から闇に逃げて行った。

幼い愛子は居間の隅に居た。
愛子にはヤマカガシは、上がり框の陰になって見えなかった。
祖父が祖母に薬缶を投げつけたように見えた。

愛子は、おさな心に祖父を鬼だと思った。
一生拭い去れない恐怖とともに。

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平成18年 冬 愛子は天に召される。享年86歳。釈尼雅詠。
祖父、祖母、父、母のもとに帰った。

真実を識る者は皆、召されていく。
残された私達は、ただ愛を信じて、掌を合わせるのみである。

合掌


                     

2009年6月28日日曜日

天使のような子 ルミ子      by 柘植信彦

大正8年(1919年)ロシアのバレリーナ、エリアナ・パブロバは、
ロシア革命の暴虐を逃れ日本に亡命し、福岡の鶴田バレエ団に身を寄せた。
ここで子供達にバレエを教えて暮らしたが、
大東亜戦争のさなか、日本軍の慰問に訪れていた南京で病没した。
日本のバレエの礎となった女性である。

歳月が流れた。

昭和3×年の鶴田バレエ団の発表会は「くるみ割り人形」だった。
子供達の踊りを、菩薩になったエリアナが彼岸から見つめている。

『鶴田先生があの子にネズミの役を振るのにはわけがあるのよ。
あの子がネズミなら、ほかの子供達が、
「あんなかわいくて、踊りの上手な子がやるんだったら、ネズミは悪い役じゃないんだ、きっと」
と思って、ネズミの役を嫌がらないでしょう。
それが鶴田先生のねらいなのよ。
あの子は自分がどんな役でも、発表会が成功することだけを願って、
一生懸命に踊るのよ。
あの子はそういう、心のきれいな子。
天使のような子。
アーッ スリッパを投げられたワ、
うまくよけるのよー(笑)
あの子、お名前は何だっけ、ルウ---ミ、そう、ルミ子チャン』

ルミ子、少女の季である。

(参考)「くるみ割り人形」は、愛の王国が悪の帝国に攻撃されるという物語で、
悪の帝国の兵隊はネズミの衣装で踊り、最後には主人公クララにスリッパを
投げつけられ成敗される。
出演する子供達は悪役のネズミ役になることを嫌がるし、こども達の親も
わが子がネズミ役を振られないよう指導者に働きかけるという。
指導者は誰をネズミ役にするか、頭を悩ますのである。

  ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

2009年6月15日月曜日

ルミ子の祈り  by 柘植信彦

百道の砂浜から、兄鷲達が散華された南の空へ、
そして安らぎの靖国の空へ、
ルミ子の父は手を合わせる。
「雲の墓標」に祈るのだ。

ー吾らに変わりて 代わりなき若き命を
 南海の千尋の底に沈めし若き勇士たちよ
 今日よりは安らけく瞑れー    (特攻碑 碑文)

ルミ子は父を見上げる。
ルミ子は父を真似て、砂遊びの小さな手の平を合わせようとする。
手の平から白い砂がほろほろと落ちる。

合掌する父の姿は、ルミ子の幼い心に刻まれた。

二十数年後、映画「白蛇抄」のラストシーンで、
恋人の振り下ろす鉈の刃の下で、
身篭ったルミ子は嬉しそうに手を合わせる。
何に祈っているのか。

渾身の絶唱「湖の祈り」で、ルミ子は手を合わせる。

♪ ただひとつだけの愛に生命を捧げた
  あのマリモのように 湖に祈る ♪

ルミ子は何に祈っているのか。
自身も識らないのかもしれない。

ルミ子は、遥かな「雲の墓標」に、
遠い「父」の記憶に、
祈っているのだ。

愛に殉じた人々に。

   ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

2009年6月6日土曜日

輝いて ルミ子    by

ルミ子をおんぶして、汐風の当たる板壁の苫家を出る。
夕立が上がった軒陰には、白い朝顔がつぼんでいる。
緩やかな坂道を降りると、百道の砂浜が広がる。
西の夕焼けを見上げると、予科練の訓練基地のあった糸島の空が望まれる。

♪ 若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨 ♪

砂遊びをするルミ子のそばで、若い父親は「若鷲の歌」を唄った。
予科練の軍歌演習でよく唄った。
上官から声量の豊かさを褒められたことを覚えている。

ルミ子は砂遊びの手を止めて切れ長の瞳を見開く、唄う父を凝視する。
父の歌がルミ子に強い力で吸い込まれるようだ。

ルミ子の唇が、かすかに唄う。
ルミ子の全身が、光を纏うように輝く。

「ルミ子は唄うと輝くのか!」

父は、人が光を放つことがあることを、
再び帰り来ぬ零戦に乗り込む先輩兄鷲達の、
最後の姿で知っていた。

♪ 生命惜しまぬ予科練の 意気の翼は勝利の翼 ♪

父の唄う「若鷲の歌」こそ、ルミ子の音楽性の原型をかたち創ったのである。
このときルミ子は日本歌謡界の至宝となるべく宿命(さだめ)られた。

ルミ子1歳の季である。

2009年5月30日土曜日

ルミ子の子守唄     by柘植信彦

ルミ子の父は予科練だった。
先輩兄鷲達は続々と戦死した。
自分も後に続く覚悟だった。
しかし生き残ってしまった。

後に続く者を信じて大空に散った先輩達を自分は裏切ったのだ。
「靖国で会おう」と言い残して散華して行った先輩達に申し訳ない思いに苛まれた。

愛子の声を聞いた時、生への情熱が沸々と胸に湧き上がって来た。
自分の腕の中で寝息を立てているルミ子を見詰めていると、男子としての責任に身震いする思いだった。
愛子の為に、ルミ子の為に、生きよう。

かって愛する者の為に死に赴くことを決意した自分が、愛する者の為に生を決意した。
敢然と祖国に殉じた先輩達も、きっと微笑んで赦してくれると思えた。

ー若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨ー

若い父の唄う「若鷲の歌」でルミ子は寝入った。
ルミ子の子守唄だった。

2009年5月4日月曜日

唄ってよ 愛の歌を           by 柘植信彦

格子戸の開く音に、愛子は「いらっしゃいませ」と振り向いた。
そこには若い青年が立っていた。凛々しい一陣の風を感じた。
青年は愛子の声が泣き声のように聞こえたのでわずかに戸惑ったが、
彼女の笑顔を見て、隅の小卓に腰掛け饂飩を注文した。
愛子の久留米絣の着物姿が青年の目に焼きついた。

その日から青年は愛子の勤める食堂で昼餉を摂った。
愛子は食堂の主人の話しから青年が予科練帰りであることを知った。
青年は給仕の女性が愛子という名であり、わずかに足を引き摺ることを知った。

近所を流れる室見川のほとりを歩く二人の姿があった。
二人は恋に落ちた。
青年は22歳、愛子は29歳の春だった。

二人は赦されて小さな所帯をもった。
ちゃぶ台はりんごの空き箱に布を掛けた。
愛子はお針子の内職の合間に、布に赤い椿の花を刺繍した。

桜色の赤子が生まれた。
唄うように泣く女の子だった。
若い父親が抱き上げてあやすと、舞うかのように喜んだ。

留美子と名付けた。

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